宮澤賢治、高村光太郎、相田みつを

●山水閣展示コーナー
大沢温泉にゆかりのある書画や
写真を陳列しています。
延歴年間(約1,200年前)に、征夷大将軍坂上田村麻呂が東征の際、蝦夷軍の毒矢に負傷しましたが、
大沢の湯に入浴してほどなく傷が癒えたという伝説があります。
南部藩主第40代の利剛公は慶応3年(西暦1867年)に大沢温泉に湯治した折り、家臣と共に和歌などを詠み、
その風光の素晴らしさを愛でました。川口月嶺の筆による「大沢八景」が今に伝えられ、当時を偲ぶよすがとなっています。

「大沢八景」に描かれた曲り橋

明治39年花巻仏教会夏期講習の記念写真
少年の頃、賢治は信仰心の厚い父に連れられ花巻仏教会の講習会場だった大沢温泉に幾度となく訪れています。 学生時代は悪ふざけをして湯を汲み上げる水車を止めてしまい、風呂場が大騒ぎになったという逸話が残っています。 また後年花巻農学校の教師時代には、生徒たちを引き連れて湯浴みに来ています。

賢治の短歌

●宮澤賢治記念館
賢治の思想と活動が環境・信仰・科学・芸術・農村・総合・資料・世界が見つめる賢治宇宙の8部門に分けて視聴覚的に展示されています。
周辺に童話村、イーハトーブ館、花巻市立博物館があります。
(車で約30分)

●高村山荘
光太郎が7年間独居自炊の創作活動を続けた小さな建物で、当時のまま保存されています。
近くの高村記念館には、彫刻や遺墨などが展示されています。
(車で約10分)
昭和20年空襲で東京のアトリエを焼失した光太郎は、賢治の父を頼って花巻に疎開しました。 以後7年間、光太郎は花巻を愛し、大沢温泉を「本当の温泉の味がする」と喜びました。

光太郎の書

山口小学校の宿直室に間借りしていた
大正13年栃木県足利市に生まれる。
旧制栃木県足利中学校卒業後、曹洞宗高福寺の禅僧・故武井哲応老師と出逢い在家のまま生涯にわたって師事する。
昭和29年足利市にて第一回の個展を開催。その後各地にて作品展や講演活動を行う。平成3年12月永眠。享年67歳。
本書「ゆ」は700枚以上の習作の末に書き上げられ大沢温泉に贈られた。










